第三章、兄弟なる被造物
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フランチェスコは回心の時から、被造物への態度が変わった。自分の楽しみの道具、材料として物を見るのではなく、同じ命の中に生きているものとして見るようになった。エゴイズムが生ずる物への執着、名誉への執着、権力への執着によって、人間は互いに苦しめ合い、殺し合うことをフランチェスコはペルージャとの戦争の時に経験した。一年間の牢獄での生活によって、十分に骨にしみるまで、憎み、戦争、人間の権力の愚かさ、その虚しさを感じた。更にフランチェスコは病気が治って新しい命に目覚めたかのように、人間を始め、全ての物の大切さに気付いたのである。既に見た癩病者との出会いで、フランチェスコは人間が感じる恐れと嫌悪感を乗り越えて、自分と同じ神の命に生きている兄弟癩病者に接吻した。その時から一生の間人々に、皆を結ぶ神の愛の力を説くようになった。人間は皆神の子供で、お互いに仲よく愛し合って暮らすために生まれ、この平和は人間同士だけでなく、すべての物をも含むべきなのである。
フランチェスコは動物を自分の兄弟として見て、彼らにやさしく語り、その結果動物からも信じられないような反応があった。一番よく知られているのは鳥たちへの説教とグッビオの狼の話しである。
1214年頃、フランチェスコは数人の仲間に伴われてポルチウンクラを出てスポレトの方に向かって歩いていた。ベヴァーニャという小さな町に近付いた時、大きな牧場の中であらゆる種類の鳥たちが集まってきた。周囲の木々の上に信じられないほど数多くの鳥がフランチェスコが近付くと皆黙って、一羽も身動きするものがなく、彼の言葉を聞こうと待ち受けているようであった。フランチェスコは鳥に「主があなたがたと共におられるように」と挨拶した。そして鳥に話し始めた。鳥は神から素晴しい衣服を受け、空を自由に飛び回るために羽を受けて、毎日食べ物をも与えられている。神様はなんと彼らを愛しておられることか。フランチェスコは兄弟たる鳥たちに向かって毎日神に感謝しなければならないと告げた。鳥たちはこの言葉がもたらした喜びを、羽を振ったり、首を伸ばしたりなどして示した。そしてじっと沈黙を守って、聞いていたのである。フランチェスコは話し終わると長衣で鳥たちに触りながら彼らの間を自由に歩き回った。最後に十字架の印を描いて彼らを祝福し、飛び立つ許しを与えて仲間たちと共にベヴァーニャの町に入った。(チェラーノ、第一、58)。
また全動物世界がいかにフランチェスコを敬っていたかを示す、1221年の11月ころに起こったグッビオの狼の奇跡がある。アシジの近くのグッビオという町は恐怖の中に生きていた。稀に見る大きな狼が一頭たびたび現われていたのである。住民は都市の門を閉じてどうしても必要な場合、武装して町を抜け出るのでなければ、もう外へ出かけようとしないのだった。この悪魔のような生き物は人も、物も、何も恐れず、森から現われて犠牲者を引っさらうのを常としていた。
フランチェスコはそれを聞いて、事態を治めようとしてグッビオに行き、一人の仲間を連れて、人殺し狼の巣である森への道を取った。住民が彼を止めようとしたが、フランチェスコは恐怖を感じていなかった。狼が現われた時、フランチェスコは彼に向かって進み、大きな十字架の印を描き、呼びかけて言った「兄弟の狼よ、こちらへおいで、キリストの名において、私はもう誰にも危害を加えないよう、おまえに命じる」。狼は突然止まって、おとなしくなってフランチェスコに近付いた。それでフランチェスコはまた説教を続けた。狼は他の動物や人間をも傷つけ、当然人から人殺しのように武器で狩り立てられ、ののしられている。しかしフランチェスコはグッビオの住民と狼と仲直りさせるつもりだと言った。狼は脚をフランチェスコが差し出した手の中に入れて、約束した。フランチェスコは狼をグッビオの町の中に連れて行き、町の人に、彼ら一人一人の罪がこの災厄の原因なのだと説教しながら、これから狼と仲よくして毎日食べ物を与えるように命じた。その時から狼は自分の住まいに入るようにして、住民の間に入り、彼ら全ての身よりとなった。(「聖フランシスコの小さき花」、21)
ここで宇宙万物と全く一つになったフランチェスコはもちろん狼を恐れないし、狼からも敬われている。狼が人間に背いて傷つけること、自然が人間に背くことは、人間の罪、人間の自己中心的なふるまいに原因があるというキリスト教の考え方を明らかにした。
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フランチェスコは回心の時以来、神と被造物を新しい目で見るようになり、心の中にずっと賛美の歌を持っていた。そしてどんな困難、どんな苦しみに遇っても、いつも喜びに溢れていた。若い時のお祭り騒ぎと違って、神の愛に包まれて生きている、全ての万物と兄弟関係、愛の関係の中に生きていると言う悟りからくる大安心であった。フランチェスコと彼の弟子のこんな素直な喜びは、初代フランチェスコ派の特徴でもあった。
いつも心の中に持っていたこの賛美の歌は1225年5月に「被造物の讃歌」になったのである。そのころフランチェスコは病気と目の苦しみのために動けなくなり、サン・ダミアノで枝の小屋を作ってもらって寝ていた。苦しみの頂点に達したある夜、夢の中で神の国に入る約束を受けた。苦しみに堪え忍びながらも喜びに溢れて、全ての万物と一つになって神を賛美した。焼け付くほど痛い目を光が通らないように包帯したままフランチェスコは夜明けになるとそこにいた数人の仲間を呼んで、自分が唱える歌を筆記し、それを覚え、歌うように頼んだ。(ペルージャの伝記、43)、(チェラーノ、第二、213)。
この歌の原文は「ペルージャの伝記、四三章」や他の小品の古写本の中に見える。(一番使われているのはアシジ市営図書館の古写本338号である)。「ペルージャの伝記」がラテン語で書かれているのにこの歌だけが俗語のまま載っていることはこの歌が真正であることを思わせる。フランチェスコの時代には教会や学校の中でラテン語が使われていたが、一般庶民は俗語でしか話せなかった。勉強をあんまりしなかったフランチェスコも自分の心を表わす時に俗語を使ったと思われる。後にトスカーナ(フィレンツェの地方)やウンブリア(ペルージャとアシジの地方)の俗語がイタリア語になったが、「被造物の讃歌」はイタリア文学の中に重要な位置を占めている。
論文の第一章に載せたこの歌の内容は全く新しいものではない。神を賛美することは旧約聖書(特に詩篇)を見れば、ユダヤ教でよく使われている祈りの形であることがわかる。又、ダニエル書の三章から着想を得たことも考えられる。これはヘブライ版の聖書には見出されない部分であるが、四世紀の聖ヒエロニムスがシリア版からラテン語に訳した聖書(ヴゥルガータ)には見られる。バビロンの王ネブカデネザルの大きなかまどに投げ込まれた三人のユダヤの子供のうたう歌で、彼らは炎の中にあっても、火に焼かれずに声を張り上げ、創造物全体に向かって主をほめたたえるように促すのである。このような歌である。
「造られたものはみな神を賛美し、代々に神をほめたたえよ。
天のすべてのものは神を賛美し、神の使いは神をたたえよ。
空の上の水はみな神を賛美し、天のすべての力は神をたたえよ。
太陽と月は神を賛美し、空の星は神をたたえよ。
雨と露は神を賛美し、すべての風は神をたたえよ。
火と暑さは神を賛美し、冬の厳しさも神をたたえよ・・・・」
(ダニエル書、3、57-90)。
フランチェスコの詩との類似は明らかであるが、彼はこの素晴しい讃歌をまさに自分のものにする一つの変更をもたらした。神が創造されたものの一つ一つに、彼が「兄弟姉妹」と呼びかけるのである。
万物に対する考えを段階的に分けてみれば普通の人間は自然の中にあって、自分の必要に応じて自然の物を利用する。宗教心を持っている人間は自然の物が持っている不思議な力に驚いてそれを拝むか、又はユダヤ教やキリスト教のように宇宙万物を創造された神を拝み、自然の物を敬い、大事にする。フランチェスコはもう少し進んだところで、宇宙万物を神の命で生きている大きな家族のように考える。その中では自然の物とそれを利用する人間という区別はなく、人間と自然のすべてのものは兄弟であり、皆同じ命で生きていて、皆同じ呼吸をしているのである。そのために物への執着はなくなる。自分のためにものを取っておく必要はない。金にせよ、食べ物にせよ、衣服にせよ、必要ならば「兄弟」なるパンは食べられるために自分のところにやって来るのである。キリスト教の言葉を使うと、父である神は毎日必要な糧を与えてくださる。
フランチェスコは頭だけで「兄弟」と思ったのではなく、全身全霊でそれを表わしていた。そのために普通、人間を恐れる鳥たちや狼は兄弟のように親しみをもってフランチェスコに近付いた。フランチェスコは時には怒りに燃える激しい性格を持っていても、それは人を回心させる熱意に過ぎず、本当はどこへ行っても人間の間に平和をもたらしたのである。
「被造物の讃歌」の理解のために少し説明を加えたいと思う。
「いと高き、全能の、やさしい主よ、おんみに、称賛、栄光、名誉、そしてすべての祝福を・・・・」。
これは普通の賛美の言葉に聞こえるが、その時のフランチェスコの病気の状態を考えてみよう。「フランチェスコは五〇日間以上サン・ダミアノに留まった。昼間の光にも、夜の火の明かりにも耐えられなく、小屋の中はいつも真っ暗だった。そればかりか、日夜目のためにひどく苦しみ、休むことも寝ることもできなく、病気がますます悪くなっていた。たまに休もうと思っても、鼠が小屋を荒らし回っていたのでできなかった・・・・」。(ペルージャの伝記、43)。
フランチェスコは神に「苦しみに耐えられるように助けてください」と祈ったところ、霊感で神の国に入る約束を受けて、神を「やさしい主よ」と呼び、賛美する。そのような霊感を受けたのも、フランチェスコは父である神から愛されていると、自分の兄弟であるすべての被造物から愛されているという大安心があったからと思う。
「たたえられよ、わが主、・・・・兄弟なる太陽の殿のために。太陽とは昼。昼を通して、おんみはわれわれを照らす。美わしく、大いなる輝きによって、照り栄える太陽。おお、いと高きかた、彼こそはおんみのみ姿を宿す」。
多くの古代宗教にも、ローマ帝国の時代にも太陽を崇拝する信仰が盛んだったが、聖書の中にも、教会の祈りの中にも神を太陽に例えることがある。フランチェスコもこれを受け継いで神に向かって「彼こそはおんみのみ姿を宿す」と言う。太陽が万物の中の最も美しいものだと思い、神が私たちが見えるように毎朝太陽を昇らせるから全ての人は神に感謝すべきだとも言った。最初この讃歌を「ペルージャの伝記」の中で見られるように「兄弟なる太陽の讃歌」と呼んだ。後のチェラーノ、ボナヴェントゥーラ等の伝記は題名を「被造物の讃歌」と改めた。
「たたえられよ、わが主。姉妹なる月のため、星々のために。おんみはそれらを、空の中、さやかに、貴く、美しく作りたもうた。」
太陽が堅固さや安定性の象徴であれば、月は変動の象徴だと言える。現われる時から消える時まで、さまざまな月相を見せて、大昔から人生の色々な変化の象徴とされた。受胎から胎児、幼児、児童、青年、大人、老人、死ぬ時まで。そのために肥沃、成長、死亡と関連がある。ミルセーア・エリャードによれば「新石器時代の農業の発見から、月、海水、雨、女性や動物の肥沃、植物の生命、人間の死後の運命、成人式等は同じ象徴体系に含まれている」(「Patterns in Comparative Religions」, pg.155)。
また星については最近、宇宙の科学研究によって想像もできないようなことが発見された。いくつかの例を挙げてみれば、地球や太陽系の惑星が属している銀河は八ー十万光年の広さで、太陽系はその中心から二万七千光年離れている。光速が一秒に三十万キロメートルだとすれば、一光年は約十兆キロメートルである。そして銀河には約一千億の星がある。アンドロメダ星雲をとってみれば、それは地球から二百三十万光年離れていて、二十万光年の広さで、三千億の星がある。(Asimov, The Universe, pg.93) 想像もできない大きさの宇宙の中に、想像もできない数の星があるが、夜空にかすかに輝き、揺れきらめく星をながめれば、フランチェスコと共に親しみを感じざるを得ないのである。こんなに偉大な宇宙の中の物一つ一つは、我々の兄弟姉妹である。
「たたえられよ、わが主。兄弟なる風のために。大気と、雲と、晴朗なる空と、あらゆる天候のために。これら兄弟によって、おんみは生きとし生けるものを支えてくださる」。
フランチェスコは天候のさまざまな様相を人格化して、親しみをもって兄弟と呼ぶ。これらを通して宇宙万物の原則である神は人間の毎日の生活を支えている。働いて、自分で生活を得る人は、独立感をもって、だれの支えも要らない、一人で大丈夫だというような錯覚をよく起こしている。しかしフランチェスコは全く独立感がなく、托鉢してパンを恵んでもらって、生きるために人に支えられることに慣れていた。人からだけではなく、万物からも支えられていることをよくわかっていた。帆船や風車を動かす風、大地を潤す雨、色々な実を熟させる良い天気、一瞬一瞬生きるために不可欠な空気。これらの天候の様相、又はフランチェスコが言うように、これらの兄弟はいつも働きかけてくれて、私たちの命を支えているのに、普通の人は殆ど気が付かないのである。しかし回心の時以来枝の小屋にしか住んだことのないフランチェスコは毎日自分の肌の上にこれらの兄弟の大事な働きを感じていた。
「たたえられよ、わが主。益するところ多き、姉妹なる水のために。つつましく、貴く、純潔なる水」。
どの時代にも、どの宗教でも、水は特別な意味を持つものとして扱われ、大切にされて、典礼や儀式の中に重要な位置を占める。フランチェスコも親しみをもって、いつも大事にしていた。
「手を洗う時に、場所を選んで、使った水が足に踏まれないようにしていた」(ペルージャの伝記、51)。
アシジの近くやウンブリア地方全体には泉が多くて、歩き回っていたフランチェスコは泉から慎ましく、貴く、純潔に湧き出る水を毎日飲んでいただろう。自分の妹のように水を親しく、大切に思っていたフランチェスコはどうしてもそれを汚すことができなかったのである。フランチェスコは動物に対しても、水、火、他の被造物に対しても特別な力を発生していた。フランチェスコと共に山道を登っていたある農夫が、あまりにものどが渇いて気分が悪くなったので、フランチェスコがひざまずいて祈ると水が湧き出た(チェラーノ、第二、46)。リエティで疫病のために牛がたくさん死んでいた時、ある人がフランチェスコが体を洗った水をもらって牛に振りかけたところ、疫病が治まった(聖ボナヴェントゥラによる大伝記、13,6)。自己を忘れて万物と同じ命で生きていることに目覚めて、万物と一つになった彼には、万物も特別な反応を示すのは不思議ではないだろう。
「たたえられよ、わが主。兄弟なる火のために。この兄弟によって、夜は輝く。火は美わしく、楽しげで、不屈にして、力強い」。
太陽も、火も、エネルギーの源泉で、太陽が昼を照らすが、火は夜を照らす。又はフランチェスコのように言えば、神は太陽によって昼を照らし、火によって夜を照らすのである。フランチェスコは火で照らされる夜の場面を良く知っていた。電気のない時代に火炉を囲んで宴会が催された。若い時に友達と遊び回っていたころ、火を囲んで飲食したり、歌ったり、踊ったりする楽しさをよく知っていた。苦行の生活をしながらも、生き生きと燃えている火をながめて楽しくなっただろう。フランチェスコの火に対する気持ちを表わすいくつかの話しがある。ペルージャの伝記によれば、フランチェスコはいつか火の近くに座っていて衣服に火が付いた。隣に座っていた兄弟がそれを消そうとしたがフランチェスコは彼をやめさせた。「兄弟よ、兄弟なる火に乱暴しないでください」。他の兄弟たちも来て無理にフランチェスコの衣服についていた火を消した。火に対する親しみのあまりに蝋燭や明かりの火を消すのも辛かった。又火のついた木を捨てないで、丁寧に土に置くように兄弟たちに勧めた。「火や他の被造物が彼を敬うことは不思議ではない。彼と共に暮らした私たちが見た通り、フランチェスコは愛情と尊敬を込めて物を扱って、それらのために非常に喜んでいた。全ての物に対して自然に同情と理解を示して、もしだれかが物を乱暴に使ったら、苦しむほどだった。被造物が生きていて、感じて、理解するかのように彼らと語っていた」(ペルージャの伝記、49)。
火もフランチェスコをを敬った話しがある。1225年、亡くなる一年前に目の手術を受けた。眼炎の完治を期待して、両頬の上部に焼ごてを当てる手術だった。フランチェスコは恐怖に震えながらも火に向かって「兄弟なる火よ、いと高きかたが創造されたものの内に最も貴く、大切である火よ、今私に親切であって欲しい。今まであなたを愛して、これからも愛する、あなたを創造されたかたの愛のために。創造主に我慢できる程度にあなたの熱を和らげてくれることを祈る。」(ペルージャの伝記、48)。手術は期待していた効果はなかったが、その時フランチェスコは痛みを少しも感じなかったのである。
「たたえられよ、わが主。われらの姉妹、母なる大地のために。大地はわれらを養い、支え、もろもろの果実と、色とりどりの花と草木を生み出す」。
大地も遠い過去に(四七億年前と言われる)始めのあったものである、又はキリスト教で言うように創造されたものである。母なる大地として、原始的なイメージの一つである。万物の始まりを説明して、大地がその奥深い内部から全てを生んだと説く神話も多いのである。原始時代から洞窟は宗教的な意味を持っていた。またミルセーア・エリアードによれば「迷宮や洞窟に入ることは神秘的に母に帰ることを現わしている。成人式や葬式で時々見られる儀式である」(Myths, Dreams and Mysteries, pg.172)。フランチェスコも回心の時に長い時間を洞窟の中で過ごしたことがある。修行する人がよく洞窟に入るということは世間から離れた静かな住まいを求めるという理由もあるが、エリアードが言うように、神秘的に母の体内に戻って新しく生まれ変わるという意味も否定できないであろう。フランチェスコの亡くなる前に言った「裸のままの大地に私を裸で寝かせて欲しい」という言葉も、姉妹、母なる大地への親しみを表わすのである。
最初に作った「被造物の讃歌」はここで終わる。後に「ゆるし」と「死」に関する最後の二節を加えた。
「たたえられよ、わが主、おんみへの愛によって、ゆるし、病いと苦難をしのぶ人たちのために。幸いなるかな、安らかにこれらを耐えぬく人たち。彼らはおんみより、栄冠を受けるであろう。おお、いと高きかたよ」。
これは讃歌を作って一ヶ月後、アシジの新しい長官と司教グイードの間に喧嘩が生じ、町に内戦の危機が起こった。司教は長官を破門し、長官の方は司教の全ての行為に対する市民権を停止した。フランチェスコは平和を取り戻すために二人の兄弟たちにこの一節を付け加えた讃歌を長官と司教と町の有力者の前で歌うように頼んだ。この愛の歌に心打たれて、皆自分の愚かさを反省して仲直りしたと言われる(ペルージャの伝記、44)。全ての万物を愛していたフランチェスコは万物の中でも優れている人間を当然愛し、人が互いに憎み合い、殺し合うことを見ていられなくて、自分が苦しみや病気の間に寝ていても力を尽くした。二十歳の時のコッレストラーダの虐殺を一生忘れられなかったのであろう。
「たたえられよ、わが主、われわれの姉妹、肉体の死のために。生きる者はだれも、この姉妹からのがれられない」。
不可思議である死について何が言えようか、ただ「生きる者はだれも、この姉妹からのがれられない」としか言えないだろう。フランチェスコは死が肉体の終わりではなく、最高の望みである神の元へ案内してくれるやさしい姉妹であることをはっきりわかっていた。全ての資料はフランチェスコが喜びの内に死を迎えたことを証明する。フランチェスコはひどい病気にあって、苦しみに負けずに、心を慰めるために昼間自分が書いた讃歌を色々歌ってもらっていた。夜も、付き添いの人を慰めるために歌ってもらうこともあった。それで兄弟会の総長を務めていたエリアが死にかかっている人のところで日夜歌を聞くのは、周りの人がおかしく思うのではないだろうかと言った時、フランチェスコはずっと前からこの時のために準備してきたので、神と一つになって喜ばずにはいられないと答えた。医者から数日の内に死ぬと言われた時も「姉妹なる死よ、よく来てくれた」と言ったと伝われている(ペルージャの伝記、64)。
「不幸なるかな、大罪のうちに死ぬ者。幸いなるかな、おんみの聖なる意志を果たしつつ逝くもの。第二の死が、かれらをそこなうことはないだろうから」。
最後にキリスト教の罪についての考えを現わしながら、大罪のまま、神の愛や親しみから離れて、自己中心的に営なんだ人生を終える人は不幸だと述べる。最後まで神との親しい関係を保って、愛である神の教えを果しつつこの世から去る人は霊魂の滅びである第二の死を恐れることはない。安心して父である神の元に帰るので幸いな人と言える。
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フランチェスコが全ての被造物を「兄弟」と呼ぶ時に何を意味していたであろうか。彼が宗教を学問的に深く勉強しなかったのは事実であるが、小さい時からキリスト教の中に育てられて、聖書を読み、兄弟会の指導者になってからも、神学、法律等、色々な学問に徹した兄弟がいて、彼が著わしたものが短く単純なものであっても、中にキリスト教的間違いがないのである。しかし全ての物を「兄弟」と呼ぶことはキリスト教の中に例がなく、フランチェスコの独特な表現だと言える。
これは仏教で言う「天地と同根、万物と一体」という心の境地に相当するのではないかと思うので、もう少しキリスト教における「兄弟」の意味やフランチェスコ独特な取り方を考えてみたいと思う。
聖書の中で「兄弟」とはよく使われている言葉で、ヘブライ人の間に、同じ父母を持っている者だけでなく、親戚や友人をも示す。更にヘブライ人同士を皆「兄弟」と呼ぶことも多いのである。例えば、
「あなたは七年の終わりごとにゆるしを行なわなければならない。隣人に貸した物は全てゆるさなければならない。外国人にはそれを督促することができるが、あなたの兄弟に貸した物はゆるさなければならない・・・・もしあなたの兄弟であるヘブライの男、又はヘブライの女があなたのところに売られてきて、六年仕えたならば、第七年には彼に自由を与えて去らせなければならない」(申命記、15、1-3.12)。
ヘブライ人は皆アブラハムという人の子孫であり、彼に最初ヘブライ人の神であるヤーヴェが現われた。そのためにアブラハムは父と呼ばれ、同じ民族同士、互いに兄弟と呼ぶ。個人の壁をぶち破って、互いに兄弟と認め合うのである。
「ユダヤ人はイエズスに答えて言った『わたしたちの父はアブラハムです』」(ヨハネ、8,39)。
しかし「兄弟」というのは違う民族や外国人に及ばない呼び方である。
キリスト教はこれに基いてはいても民族の壁を超えて兄弟の意味を広げている。イエズスは彼のところに親戚が訪ねてきたと言われた時、
「天におられるわたしの父のみ旨を行なう人こそ、わたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母である」と答えた(マタイ、12、 50)。
どの国、どの人種の人も、神のみ旨を行なう人々の家族の中に兄弟である。ここで神と言うのは、旧約聖書では「ヤーヴェ」と言って、人格化された存在の原則を意味し、又新訳聖書ではイエズス・キリストが親しみを込めて「天の父」と名を改めたものを指すのである。
初代教会は言葉だけでなく、実際に持ち物を共有するほど兄弟のような生き方を試した。
「一同は、ひたすら使徒たちの教えを守り、兄弟的交わりを大切にし、パンを手で分け、祈りをしていた。信じる人たちは皆一つとなり、全ての物を共有し、財産や持ち物を売り、それぞれの必要に応じて、皆でそれを分配していた」(使徒行録、2、42-45)。
信徒の数が増えるに連れてこのような生き方はできなくなったが、四世紀から盛んになった修道教団の中にまた取り入れられた。まず個人主義を否定して教団の中に一つの心となる。個人所有権を放棄して、物を共有し、なるべく質素な生活を営なむ。この生き方によって物と自己への執着を離れ、真の心の自由を得て、兄弟のように平和で幸せに生きるためである。そのために修道士はよく「兄弟」と呼ばれ、フランチェスコ派の人も「兄弟」、又その修道会は「兄弟会」と呼ばれた。歴史の中で修道士には兄弟を意味する「フラトレス」というラテン語の言葉が使われ、現代も英語の言葉で「ブラザー」と言うのである。
現代の教会は、特に二〇年前の第二ヴァチカン公会議で世界に対する使命を見直して、はっきりと全ての人を、人種、国籍、宗教と無関係に「兄弟」と呼び、全人類が兄弟関係に生きるために尽くしている。1978年に亡くなったローマ教皇パウロ六世の「すべての人は我が兄弟なり」という言葉は深い印象を残した。又「教会の宣教活動に関する教令、一二」の中の次の言葉はこのような兄弟的態度を現わす。
「実にキリスト教的愛は、人種や社会的地位、宗教とは無関係に、すべての人に向けられていて、いかなる利得も感謝も、期待してはいない・・・・教会もまた、その子らを通してあらゆる身分の人々、特に貧しい人々や苦しんでいる人々と結ばれ、かれらのために喜んで尽くすのである。事実、教会は、かれらと共に喜びと悲しみを分かち合い、生活のあこがれと迷いを知り、死の苦しみにあえぐ人々に同情する。平和を求める者には、福音により平和と光明とをもたらしつつ、兄弟的対話をもって、答えようと切望する」(公会議、公文書全集、Pg.483)。
今まで見た通り、「兄弟」という言葉は肉親を超えて、修道教団のようにそのグループの人、ヘブライ人のように同じ民族の人、キリスト教のように神に従って生きる全世界の人、又現代カトリック教会が望むようにすべての差別を超えて全人類、一人一人を示すのに使われている。
他に例のないフランチェスコの独特な使い方はどうであろうか。右に見たような聖書的、キリスト教的な考え方を背景にしていても、動物、植物、宇宙のすべてのもの、すべての自然現象、死をも「兄弟姉妹」と呼んだ。フランチェスコは戦争、贅沢、快楽の空しさから真実の在り方に目覚めた。もしフランチェスコが道元禅師と知り合ったとすれば「兄弟姉妹なる尽十方界真実人体」と言ったかもしれないであろう。フランチェスコと道元禅師の心を比べてみれば一つの問題が残る。万物を兄弟と呼んでも禅で言う「主客一如」ではなく、主体客体の差別が残るであろう。しかしフランチェスコが実際にどんな風に物を扱っていたかを見れば、又フランチェスコに対して色々な物がどんな反応を示したかを見れば、兄弟という概念が残す主体客体の差別は言葉上の問題に過ぎないと分かるであろう。
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